荒野を吹き抜ける風が、変わり始めていた。
かつて血と怒号が渦巻き、誰もが誰かを憎み、傷つけ合った戦場。
今、その地に、小さな野草が芽吹き、柔らかな陽光が乾いた土を撫でている。
焦げつき、赤黒くひび割れていた大地に、ようやく緑の気配が戻りつつあった。
その風の中に、カーヴァの姿があった。
彼は、集落の外れで鍬を肩に、無言で闇空を仰いでいた。
土を耕し、月光で育つ種を土に蒔いていると、首筋に汗がにじむ。
それでも、どこか、心は落ち着いていた。
かつて彼は、《反旗》と呼ばれる者たちの統率者だった。
弓を手に、命を奪うことをためらわなかった。
何度も、何度も、手を汚し、後戻りのできない道を歩いた。
あの頃は、それが「生きる」ことだと信じていた。
けれど、勝ち取ったものは、何もなかった。
瓦礫と亡骸だけが、荒野に転がった。
「……まさか、畑仕事をする日が来るとはな。」
鍬の柄を握ったまま、カーヴァはかすかに笑った。
自嘲と、ほんのわずかな希望とが、心の底で交錯していた。
その背に、少年の声がかかる。
「カーヴァ、おまえ……元《反旗》のカーヴァなんだろ? どうして戦わないんだよ。めちゃくちゃ強いくせにさ。」
振り向くと、まだ幼さの残る少年が、真っ直ぐな目でこちらを見ていた。
少年は知らない。血に濡れた夜を、仲間の断末魔を。
奪うことでしか、生きられなかった日々を。
カーヴァは言葉を返さず、かわりに空を仰いだ。
風が灰雲を流していく。
かつて、焚き火を囲み、仲間たちと語り合った闇空に――よく似ていた。
「……強いからって、矢を放てばいいわけじゃねぇんだ」
ぽつりとカーヴァは呟いた。
その声は、少年に語りかけるというより、むしろ自分自身への戒めだった。
「強さは、誰かを守るためにある。奪うためじゃねぇ……少なくとも、俺は、もう――そうありたい」
「でも……他の軍閥はまだ争ってるんだろ? ここだって、いつか巻き込まれるかもしれないじゃん!」
少年の声には、不安と怒りがないまぜになっていた。
カーヴァは鍬を土に立てかけ、少し肩を落とした。
「そんときゃ、逃げりゃいい。隠れりゃいい。 戦わなきゃ生きられない、なんて嘘っぱちだ。 生きるために、選んでいいんだ――誰だってな」
自分自身にも言い聞かせるように、静かに、しかし確かに言った。
しばしの沈黙ののち、カーヴァは少年をまっすぐに見つめた。
「それでも、もし――どうしても逃げられないときが来たら。 そのときは、俺が立つ。 誰かの “ 旗 ” のためじゃない。 誰かの “ 明日 ” を守るためにな」
少年は黙ったまま、じっとカーヴァを見つめていた。
その目には、まだ答えのない問いが揺れていた。
やがて小さくうなずき、土の上に座り込み、小石を指で転がしはじめた。
カーヴァは鍬を再び手に取り、黙々と大地を耕しはじめる。
跳ねる土、落ちる種。
かすかな命の鼓動が、魔界の乾いた大地に、確かに息づこうとしていた。
かつて戦火を運んだ風は、いま、その小さな種を包むように、静かに吹いていた。
それは争いを煽る風ではない。
憎しみを運ぶ風でもない。
――それは、希望をはらんだ、穏やかな風だった。
