ダークファンタジー「叛逆の導 - THE SIGIL REBELLION - 」小説サイト

終焉の湖にて

リヴァは、石舞台の上で長い時を黙して立ち尽くしていた。
ネイラの言葉―― “ あなたも何かを忘れている ” という声が、何度も胸の奥で響いていた。
その記憶を辿る鍵が、まだどこかに残っている気がした。
自分の名に込められた意味すら、いまなら問い直せる気がする。

そして彼は歩き出した。
あの声の残響が導くように、名もなき地の果てへ。
終わりの気配が漂う静かな湖へと――

水面が静かに割れた。
霧を纏うように現れたのはリヴァ。
濡れたマントが重く脚に絡むなか、彼は一歩ずつ確かめるように前へ進んでいた。

「まだ……この地にいたのね。」

巫女王ネイラは振り返ることなくそう言った。
彼女の足元には、死者の灯火――霊灯がいくつも浮かび、揺れている。
それらはまるで、彼女の存在そのものを静かに称えているようだった。

「戦いに来たわけじゃない。あんたと、話がしたい。」

リヴァの声は低く、穏やかだった。
だがその一言には、言葉にならない多くの覚悟が滲んでいた。

「……この地に、命ある者が自ら足を踏み入れるとは。」

ネイラがようやく振り返る。
その瞳は夜の湖面のように澄み、底知れぬ深さを湛えていた。

「ここは、忘れられた魂が眠る場所。  生者の理も、正義も届かない。あるのはただ、終焉の記憶……  それでも、あなたはここに立つ。何を背負って?」

問いかけにリヴァは沈黙で応えた。
だがその眼差しに宿るものは――諦めぬ意志だった。

「ならば、私はあなたを試す。」

そう告げるとネイラは、静かに扇を掲げた。
それは剣ではなく、儀式の象徴。
次の瞬間、湖面から立ち昇るように、霊影たちが姿を現した。
かつて戦場に斃れた者たち。
想いを残し、行き場を失った魂の群れ。
彼らは、音もなくリヴァを取り囲んでいく。

「この者たちは “ 終わり ” の証人。 剣ではなく、心で応えなさい。 あなたが本当に争いを終わらせる者ならば……彼らは、その答えを示すはず。」

霊たちは呻き、叫び、ある者はただ泣いていた。
怒りも、無念も、愛しさも、そのまま形をなして漂っている。
リヴァは剣を抜かなかった。
代わりに、耳を澄まし、歩み寄り、時に膝を折り、手を伸ばし、語らず、ただ想いを受け取っていった。

それは戦いではなく、和解だった。
魂と魂が触れ合い、風のように時が流れる。
やがて、霊影は一つ、また一つと霧のように消えていく。
水面に光が差し込む。
夜がわずかに揺らいだような、そんな微かな希望の兆し。

「……あなたの意志は、確かに見えた。」

ネイラは静かに扇を下ろした。

「けれど、私はまだ従えない。 “ 終わり ” を見届ける者として、見るべき夢がある。 まだ、この魂たちは眠ることを許されていない。」

「……わかってる。」

リヴァはうなずいた。
受け入れるように、否定せず、ただその言葉を胸に刻んだ。

「また……会えるのか?」

彼の問いに、ネイラはほのかに笑みを浮かべた。

「いずれ、きっと。死者が安らぎを得て、生者が憎しみを手放したそのとき…… 私はあなたの隣に立つかもしれない。」

静かな水音が、ふたりのあいだを満たしていた。
そして、それぞれの道を歩む音だけが、世界に残された。

【 BACK 】