「神骸の声が聞こえるか? それを拒まず、受け入れるのだ」
囁くように、しかし確信に満ちてジュダスは言った。
その声には、もはや狂気と信仰の境界を見失った者特有の深みがあった。
リヴァは黙して応じず、ただ無言のままその後を歩く。
ふたりは喪神の塔の奥深くへ――
神骸が封じられし禁忌の空間、《深淵の間》へと歩を進める。
壁という壁に刻まれた無数の〈魔痕〉は、かつて失敗に終わった儀式の痕跡。
まるで塔そのものが、何かを孕み、呻き、疼いているかのようだった。
そこにあったのは、もはや生命の形を成さぬ、異様に巨大な骸骨。
骨でありながら、金属のような光沢を放ち、ところどころに黒曜石のような結晶が浮かぶ。
ねじれ、融合し、存在そのものが歪んだその姿は、禍々しさの極致でありながら、目を逸らすことができない美を孕んでいた。
その中心にあった “ 頭蓋 ” の空洞からは、なにかがこちらを見つめているような錯覚すら覚える。
「……これが、神のなれの果てか」
リヴァが低く呟いた。
その声は恐れでも嘲りでもない。
ただ、真実を見据える者の声。
「違うさ」
ジュダスの返答は、確かな熱を帯びていた。
「これは始まりだ。世界はここから再構築される。 神骸は “ 終わり ” ではなく “ 起源 ” なのだ。 この骸が語る理こそ、古き神々が最も恐れ、隠したかった “ 真実 ” なのだよ」
リヴァはわずかに眉をひそめ、そして冷ややかに言い返す。
「お前が欲したのは、力だろ。 変えたがっているのは世界じゃない――お前自身だ」
沈黙。
ジュダスは一瞬だけ表情を崩し、やがて愉しげな笑みを浮かべた。
「……リヴァ。おぬしの目には、恐れがない。 だが、そのまなざしはどこか空虚だ。何を信じて生きている?」
「信じてなどいない。ただ、俺は “ 今 ” を生きてるだけだ」
「それは “ 信じられるものを失った者 ” の言葉だ。だがおぬしもいずれ知る。 この世界そのものがすでに歪んでいると。 そして、深淵の理こそが、唯一無二の “ 正しさ ” であると――」
そのときだった。
塔が、軋むように震えた。
喪神の塔の奥底で進行する深淵会の儀式――
それは単なる魔術ではない。
神骸そのものに世界の根幹を侵食させる “ 世界改変の祈り ” だった。
空間が悲鳴を上げるように歪み、蒼黒い魔素が暴風のように渦を巻きはじめる。
石床が裂け、天井から黒き結晶が滴り落ちる。
空間の定義そのものが崩れ始めていた。
「侵食が始まったか……。美しいな。 この塔は、いずれ神骸の延長となり、世界の骨格と同化するだろう」
リヴァは静かに剣に手をかける。
「……俺はこれ以上の “ 歪み ” を見たくない」
「ならば、おぬしの “ 剣 ” で正してみせよ」
ジュダスが片手を掲げると、虚空に浮かんでいた一対の水晶が砕け散り、中から黒い光が奔るように噴き出す。
骸から解き放たれた “ 黒き理 ” が塔全体に侵蝕しはじめる。
それはただのエネルギーではない。
見る者の心にまで喰い込み、記憶と自我の輪郭すら溶かしてゆく “ 知の呪い ” 。
空間の輪郭が揺らぎ、時間すらも曖昧になる中で――リヴァの剣が、静かに鞘から滑り出した。
金属音ひとつ、すべてを切り裂くように響く。
静謐を裂き、闇を裂き、一騎打ちの幕が、今まさに上がる。
深淵に魅入られた教主と、信じぬまま歩む剣士。
ふたりの眼差しが交差する刹那、そこにあったのは、絶望でも救済でもない。
ただ、純粋な “ 決着 ” への意志のみだった――。
