夜明けとともに、地平の向こうに土煙が立った。
それは、風では消えない “ 予兆 ” だった。
「来るぞ! 武装した連中がこっちに向かってる!」
まだ声変わりも終えていない見張りの少年が、風の中で叫ぶ。
その一声が、集落に静かに根を張っていた “ 平穏 ” を裂いた。
カーヴァはすぐさま走り出す。
地図も双眼鏡もない小高い丘へ。
だが、彼の額に宿る第三の目は、かつて千の戦場を渡った男にのみ許された “ 戦の流れ ” を見抜いていた。
大地を踏みしめる無数の足音。
それは乾いた地を砕き、風の匂いすら変える。
「……嗅ぎつけやがったな。この土地のぬくもりを」
カーヴァの呟きは、焚き火の煙のように消えていった。
背後には、手製の槍や斧を手にした村人たち。
誰もが不安を隠しきれない顔で、彼の背中を見ていた。
再建途中のこの集落に、柵も砦もない。
“ ここ ” を守る壁は、いまや民の意志しか存在しなかった。
「俺が先に出る。なるべく引きつける。準備を急げ」
その短い言葉に、誰も反論はしなかった。
彼の声に宿るもの――それは、かつて敵も味方も震わせた “ 決意 ” だった。
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戦いは、突如始まった。
風を切る音と、土を踏み鳴らす音が混ざり、空気が重く震える。
カーヴァの弓――風裂の弓《スラシアン》が唸りを上げ、一本一本が鋭い意思を持って、敵の急所を穿つ。
矢は迷わない。
彼の指先と心に宿るのは “ 命を奪うための技 ” ではなかった。
“ 命を守るための意志 ” ――それだけだった。
襲撃してきたのは、他の軍閥に属していた流れ者たち。
荒野の再生も、人々の希望も、彼らにはただの餌に過ぎない。
「これ以上、踏み込むな……ここは “ 俺たちの未来 ” を育てる場所だ」
その声に、かつて “ 反旗 ” と恐れられた男の姿はなかった。
あるのは、泥に塗れた服と、土に馴染んだ足。
だがその背は揺るぎなく、風を受けるたびに、どこか神聖さすら帯びていた。
やがて、敵の数が圧倒的であることに気づいた村の者たちは、ひとり、またひとりと武器を取る。
少年たちが石を、女たちが鍬を、年老いた者が杖を手に――。
その目には、ひとつの問いの答えがあった。
「生きたい」
ただ、それだけ。
「……誰かの旗の下じゃねぇ。俺たちの “ 生 ” を、俺たちで選ぶだけだ」
カーヴァは呟くと、再び弓を構えた。
そのとき――
閃光が空を裂いた。
矢の射線すらかすめる鋭い斬撃。
敵陣の頭上で爆ぜた瞬間、砂煙と風圧が戦場を震わせる。
「……っ?」
振り返ると、黒い外套の旅人が立っていた。
だが、剣を振るったのは彼ではない。
風を纏い、駆ける影。
その手にあるのは、歪刃《イーデル》。
そしてその瞳は、真っ直ぐに、迷いなくカーヴァを射抜いていた。
「……リヴァ?」
その名を呟くと、時間が止まったように感じた。
「言ってたよな。誰かの旗のためじゃなく “ 明日 ” を守るってやつ。あんたひとりに、やらせない」
その声は静かだったが、風よりも真っ直ぐだった。
カーヴァの胸に、過去の亡霊が浮かびかける。
仲間を失い、希望を信じきれなかったあの頃――
だが、いま確かにそこに在るのは “ 背を預けられる誰か ”だった。
黒衣の旅人は言葉を発さず、ただその様子を見ていた。
まるで、分岐点の先に “ 正しい未来 ”を見定める者のように。
風が吹いた。
それは、誰かの命を刈り取る風ではなかった。
希望を運ぶ風、意志をつなぐ風、そして未来を選び取る風だった。
「なら……俺も、もう一度賭けてみるか。お前の剣に」
カーヴァは微笑んだ。
かつての影を払うように。
ひとりは弓を。
ひとりは剣を。
並び立つふたりの背に、風がそっと巻きつく。
風は、導く者にとって標《しるべ》となり、炎を持つ者にとっては、火を灯す助けとなる。
――かつて “ 反旗 ” と恐れられた者が、再び掲げるは、希望の狼煙だった。
