飛び交う矢の嵐を裂いて、巨躯の敵兵が咆哮とともに突撃してきた。
肩幅は戸口ほどもあり、振り下ろされる斧は、まるで地脈を穿つかのように、大地を震わせる。
村人たちの防衛線が、一瞬にして崩れかけた。
「下がれ!」
カーヴァの怒声が雷鳴のように響くと同時に、鋭く研ぎ澄まされた矢が唸りを上げて放たれた。
だが、大男は分厚い黒鉄の盾を高く掲げ、歩みを止めず、重々しく地を踏みしめる。
その姿はまるで、古の戦神が現世に舞い戻ったかのようだった。
「ならば――こっちからいくぞ」
砂煙を巻き上げて、リヴァが駆けた。
地を蹴る音が風と一つになり、その動きは蜃気楼のように揺れ、やがて敵の背後へと滑り込む。
その手に握られているのは、歪刃〈イーデル〉。
呪われし虚王の遺志を斬り裂き、神骸の脈動さえ封じた、血と意志の刻まれた剣。
その刃が、今、青白く光りを纏い、神秘の輝きを放っていた。
「ぅおおおおおっ!」
怒声と共に振り下ろされた一閃が、大男の膝を断ち砕く。
鈍い破砕音が空気を裂く――その瞬間、カーヴァの手が “ スラシアン ” を引き絞った。
「風よ、貫け!」
静かな詠唱とともに、矢に風の魔紋が浮かび上がる。
解き放たれたその一射は、ただの矢ではなかった。
風そのものが刃と化し、空気を割って唸りを上げながら、一直線に巨人の眉間を撃ち抜く。
鈍い破砕音が響いたとき、巨体が地を揺らして崩れ落ちた。
――そのとき、村に渦巻いていた恐怖が、裂けるように消え、歓声へと変わった。
「今だ! 押し返せ!」
鍬を握っていた手が、こんどは剣を取り、鋤を掲げていた手が、盾を掴む。
老いた者も、女たちも、若者も、誰一人その場にとどまらず、前へ――。
「守るんだ! この土地を、未来を、俺たちの手で!」
その叫びは、地の精霊さえも呼び覚ますように、風に乗って広がった。
そして――丘の上。
黒い外套の旅人が、静かにその光景を見つめていた。
その眼差しには “ 定め ” を見届ける者の光が宿っていた。
――こうして、戦いは終わった。
村を襲った武装集団は退けられた。
その多くは討たれ、生き残った者たちは武器を捨て、荒野に逃げ去った。
瓦礫と煙の中、人々は無言で立ち尽くしていた。
だが、その沈黙は敗北のものではない。
静かなる誇りの、始まりだった。
「よく……耐えたな」
カーヴァの声は掠れていた。
肩に巻かれた包帯はすでに真紅に染まり、膝をつきながらも、彼は倒れずに立っていた。
その背に、もはや “ 反旗 ” と呼ばれた冷たい影はない。
あるのは――人々の視線をまっすぐに受け止める、不器用な強さだった。
「俺だけじゃ……守れなかった。みんながいたから、勝てた」
誰かが泣き、誰かが笑い、誰かが地に膝をついた。
焼けた屋根の隙間から、薄曇りの空が覗き、月光が一筋、瓦礫の上に射し込む。
その光の中に、かすかに揺らぐものがあった。
まるで――この地が、再び “ 祝福 ” の名を取り戻そうとしているかのように。
戦の痕が風に流され、静寂が戻るそのとき――
「立ち去るのか?」
カーヴァが振り返った先、丘の上に黒い外套の旅人の影があった。
彼は空を見上げたまま、しばらく無言で風を受けていた。
やがて、ゆっくりとこちらを見た。
「……お前は、いったい何者だ?」
「今はまだ “ 名乗るときではない ” 。だが……道の先で、また会う」
「敵なのか? 味方なのか?」
風が答えを攫っていった。
旅人は再び背を向けた。
長い外套が風に揺れ、その姿はやがて、砂の地平線に消えていく。
その歩みが向かう先――それは、誰の記憶にもない古の地か、まだ語られぬ未来か。
その背が消えていくと同時に、リヴァがカーヴァの隣に立った。
「どうする? ここに残るか? それともまた……どこかへ行くか?」
カーヴァは、少しだけ空を見上げた。
「……俺はもう、逃げねぇよ」
その声は低く、だが確かに風の中に残った。
「なら、次は “ 伝える番 ” だな。あんたが選んだ、この土地の未来を」
リヴァの目が、遠くを見据える。
風がまた吹いた。
それは、もう “ 反旗 ” ではなかった。
かつて抗うために掲げられたその旗は、今や “ 守る者たち ” の証となっていた。
そしてその旗の下に、新たな物語が芽吹こうとしていた――
――世界は、まだ終わらない。
