幾多の命を奪ったこの手。
それでも――
「……あの日、お前と交えた刃の重みが、まだ残ってる。」
リヴァの低い声が、風に溶けていく。
足元に広がる灰の大地は、すでに死に絶えたはずの戦場。
だがそこには、消えぬ残響があった。
乾いた足音が、踏みしめるたびに鈍く響く。
灰は細かく舞い上がり、過去の亡霊のように空中で渦を巻いた。
ヴォルグは斧を背に負ったまま、リヴァの言葉に目を細めた。
「なぜ、今さら俺に関わろうとする? お前はもう、前に進んでいるはずだ。」
その声は静かだが、どこか脆さを孕んでいた。
焼けた男の中に残る、後悔にも似た痛み。
リヴァはわずかに口角を上げる。
「だからこそ、さ。置いてきたと思っていた焔が、まだ胸の奥で燻ってた。なら、それを見届けるまでが俺の役目だ。」
ふいに、焦げた大気が震えた。
燃え尽きたはずの焔の奥―― そこから、足音が聞こえる。
灰と煤を踏みしめる、乾いた、異音。
三人が振り向くと、黒い外套の旅人が現れた。
その姿は、熱に歪む景色の中でも、異様なほど輪郭を保っていた。
まるでこの世界の理から、わずかに浮いているかのように。
「……また、お前か。」
リヴァの眉がわずかにひそむ。
記憶の中に焼きついた、不穏な気配――かつて解放区で邂逅した、あの男。
「……懐かしい匂いがするな。貴様、あの頃の “ 灰 ” に立っていたか。」
ヴォルグが言う。
声にはわずかな驚きと、微かな警戒が混じっていた。
黒衣の男は、言葉に答えず。
ただ、焔の中に立ち、地に突き刺さった一本の焦げた杭を見下ろしていた。
その杭は、かつて戦地にて仲間を弔うためヴォルグが打ち込んだものだった。
焦げ、裂け、ほとんど朽ちかけているそれは、それでもなお大地に留まり、何かを伝えようとしているかのようだった。
そして――男は口を開く。
「焔は、まだ消えていない。ならば向かえ、バル=ゾランへ…」
それは命令ではなく、懇願でもなく。
ただ “ 告げる ” だけの言葉だった。
ヴォルグが斧の柄を握り直す。
腕の火傷痕が、赤く滲んだ熱に呼応するように浮かび上がる。
「……何者だ。貴様の目的は、なんだ。」
問いかけは空を切る。
黒衣の男は何も答えず、リヴァへと静かに視線を向けた。
「焔は見届けた。なら、次は――」
その言葉に、カーヴァの肩がかすかに揺れた。
弓に手をかけはしなかったが、意識は瞬時に戦の構えに移っていた。
「待て。お前の目的は何だ。俺たちを――集めようとしているのか?」
リヴァが一歩前へ出る。
その声は、剣を抜かぬままの戦いの気迫を帯びていた。
だが――男の姿は、次の瞬間、灰の煙の中へと溶けるように消えていった。
跡には、焦げた地の温度だけが、かすかに残る。
沈黙が落ちる。
「……バル=ゾラン?」
カーヴァがぽつりと呟く。
ヴォルグは答えない。 ただ、焦げた杭に目を落とし、しばし黙した。
やがて、焔の記憶を掘り起こすように、かすかに口を開く。
「……忘れたわけじゃなかった。俺は――まだ、終わってねぇ。」
その言葉とともに、くすぶっていた焔がふたたび灯る。
ヴォルグの背に、風が吹いた。
その焔はかつての戦場の残火ではない。
新たな意志としての、静かな火だった。
リヴァはその姿に頷く。
視線の奥に、かつての “ 将 ” の影が重なる。
「ようやく……風が吹き始めたな。」
カーヴァもまた、弓の弦から手を離す。
「次」が始まったことを、三人ともが感じていた。
――黒衣の旅人が残した言葉は、終わりではなく、新たなる戦の “ 起点 ” だった。
そして、灰の大地に立つその三つの影は、やがて来たる運命の嵐に向かい、静かに歩を進めはじめる。
