深淵の門を越えた先――
そこにそびえていたのは、黒き尖塔《喪神の塔》。
かつて神に見放された罪人たちが祈りを捧げたというその塔は、今や石すら泣くかのような、重く冷たい沈黙に包まれていた。
空は常に曇り、日も星も届かぬ。
永遠に夕暮れのようなその空間に、塔は不自然なほど孤高に、荘厳に、ただ屹立していた。
「……また、ここに来るとはな」
リヴァは息をのむように呟いた。
塔を囲うように広がる廃都の路地には、かすかに人の気配があった。
その瞳に光はなく、しかし静かな狂気が潜む。
彼らは皆、同じ色の外套をまとい、同じ印――深淵の眼――を手の甲に刻んでいた。
「深淵会の信徒……!」
ヴォルグが戦斧に手をかける間もなく、信徒のひとりが声を上げる。
「外よりの者よ、これ以上、我らが主の眠りを乱すことは許されぬ!」
その言葉に呼応するように、信徒たちが儀式剣を抜き、円陣を組んで迫る。
カーヴァが矢を抜き、ネイラがワンドを構える。
「交渉は通じそうにないわね」
「……やるしかない」
その瞬間、魔力の波動が爆ぜ、宙に幾重もの結界が編まれた。
信徒たちはまるで命を惜しまぬ狂信者のように、一斉に襲いかかる。
しかし、戦いはすぐに止まった。
塔の扉が、静かに、しかし抗えぬ威圧とともに開かれたのだ。
「やめなさい」
その声は、風のように冷たく、深淵の底のように静かだった。
だが、その一言で全てが止まる。
現れたのは――黒き装束に身を包んだ男。
銀白の髭を揺らし、虚無のような瞳で全てを見通す男。
ジュダスだった。
「我が名において命じる。客人に刃を向けるな」
信徒たちは一斉にひれ伏す。
リヴァは、その姿を静かに見つめていた。
かつて剣を交えた男。
決して心を許しはしなかったが、なぜか確かに “ 何か ” を感じた相手。
時の流れは、ふたりの距離を変えただろうか。
「……ジュダス」
リヴァが名を呼ぶと、ジュダスもまた静かに口を開いた。
「随分と遠回りをしたな、リヴァ」
ほんのわずかに笑ったような気がした。
だが、その微笑には、底知れぬ哀しみと、どこか救いを求めるような色が混ざっていた。
「聞きたいことがある。……今度こそ、全部話してもらう」
リヴァの声に、嘘はなかった。
ジュダスは一度だけ目を閉じ、やがてゆっくりと塔の奥を振り返った。
「来るといい。すべてを語るには、場所と――覚悟がいる」
塔の扉が、再び静かに開かれる。
その先にあるのは、答えか、破滅か。
リヴァは一度だけ後ろを振り返った。
カーヴァが小さく頷き、ヴォルグが肩をすくめ、ネイラが微笑む。
そして彼は、ジュダスの背中を追って、喪神の塔の闇の中へと歩を進めた。
